西部警察や大都会でブレークして、数々の映画やテレビに出演してきた俳優であり、故石原裕次郎さんの後を継ぎ石原プロの社長になった渡哲也さん(本名・渡瀬道彦さん)が8月10日に肺炎のため78歳で亡くなりました。

 

1971年に石原裕次郎さんを慕い石原プロモーションに入社し、大都会や西部警察などの刑事ドラマシリーズでブレークし、歌手としても1973年の「くちなしの花」でミリオンセラーを記録し、石原裕次郎さん亡くなった1987年から2011年まで石原プロ社長として務めてきました。

俳優になったきっかけ

 

 

1964年の青山学院大学在学中に、友人が浅丘ルリ子さんの100本記念映画の相手役のオーディションに、渡哲也さんの代わりに応募して合格したのがきっかけで、その後日活に入りました。

 

しかし浅丘ルリ子さんは、その時既に映画を99本撮られていたということで、凄い売れっ子だったのですね~

 

 

浅丘ルリ子さんの出演映画・ドラマについては、こちらをご覧ください。(モバイル専用)

 

Ruriko Asaoka

 

 

引用 : Ruriko Asaoka

 

 

 

 


病気の進行

 

1991年に直腸がんの手術をして、その時からずぅ~と人工肛門をつけて生活していたようです。

 

 

以前のようにあまり無理ができませんでしたが、復帰後は映画にも再び出演して、時雨の記やレディ・ジョーカーなどでは、高い評価を受けました。

 

 

2017年3月に多臓器不全のため、東京都内の病院で亡くなった弟の渡瀬恒彦さん(享年72)の後を追うように肺炎で亡くなられ、また一人偉大な俳優がこの世を去ってしまいました。

 

 

渡哲也さんは弟の渡瀬恒彦さんが亡くなられた時に、幼少期より今日に到るまでの二人の生い立ちや、同じ俳優として過ごした日々が思い返され、その情景が断ち切れず辛さが募るばかりで、弟を失ったこの喪失感は何とも言葉になりませんとメッセージを残しました。

 

 

 

 


まとめ

 

 

本当に日本を誇る俳優さんがまた1人亡くなられ、昭和の時代が遠ざかっていく気さえします。

 

石原軍団ではメンバーを仕切る裏方に徹していて、静寂さの中に情熱を感じる存在でした。

 

 

しかし大学生の時に渡哲也さんの友人が、浅丘ルリ子さんの相手役オーディションに応募していなければ、渡哲也さんの存在も、兄の背中を見ながら育った弟の渡瀬恒彦さんの存在もなかったかもしれないですね。

 

 

人との出会いは本当に不思議で、運命と考えてしまうことだってあります。

 

 

しかし俳優の良い点は、映画の中で永遠にそのままの若さで生きられるということで、故人を偲ぶために映画を観るのもよいかもしれませんね。

 

 

 

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

投稿者: nonnon

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