タイトルだけ見たら、どんな経過をたどりながら開発されていったのか、想像もつかないと思います。
今から35年前、そう東京ディズニーランドが開園される同じ頃、落としても壊れない腕時計G-SHOCKが1983年4月に発売されました。
無事に発売まで辿りつくことができて、本当に良かったと思います。
当時、カシオというと電子計算機のイメージが強かったのですが、時計も開発されていました。
設計を担当された伊部さんのインタビューでも話題にされていますが、中学や高校の入学祝いは、万年筆や腕時計が定番でした。
私は小学校高学年の時に万年筆をプレゼントされ、中学に入学した時、祖母に腕時計を買ってもらいました。
今考えると、とてもマセていたように感じますが、私の通っていた中学には壁掛けの時計がなく、みんな腕時計をしていました。
テストなどの時には、無いと困ってしまうんです・・・
初めて買ってもらった腕時計は、当時5千円以上する高価なもので、確かセイコーの時計でした。
バンドは銀色の折りたたんで、パチッと止めるタイプのもので、当時はこの手のものが多かったような気がします。
中学3年間は付けていたことは覚えていますが、高校に入り校舎が変わって、その教室には時計があったので自然と付けずに登校するようになりました。
とても懐かしい思い出です。
伊部さんは1976年にカシオに入社してから5年後に、1ヶ月に1回提出する新商品提案書に、苦し紛れに書いた1行の言葉が企画会議に通ってしまい、それから地獄のような辛い日々を送りました。
その1行には、
「落としても壊れない丈夫な時計」
と書いただけで、さて、どこで実験しよう?と、最終的に3階のトイレの窓から時計を落として、壊れないかの実験を始めました。
時計の周りにゴムを巻き付け、それを3階のトイレの窓から落下させる・・・下へ降りていって確認する・・・毎日この繰り返しでした。
ようやく時計が壊れないまでの状態になりましたが、ソフトボール大までゴムを巻き付けての見た目で、とても商品化は難しいものでした。
この様な状態でみんなに内緒で実験を繰り返していたわけですが、既に発売予定とその名前が決まってしまっていたということは、誰でも知っている大ぴらな実験だったのではないでしょうか?
重力のGに、衝撃のSHOCKで、G-SHOCKと、落としても耐えられる時計・・・
また余談になりますが、私が子どもの頃に、「象が踏んでもこわれない・・・」をキャッチフレーズにした、サンスター文具のアーム筆入が流行りました。
私も親に買ってもらい、本当に踏んでも壊れないのか実際に自分がのってみて試したりしました。
結果は壊れませんでした。
当時はテレビの影響が今よりも強くて、変わった商品が発売されたり、変わったデザインの服装や髪形が登場すると、街ゆく人々の恰好がすぐ変わりました。
パンタロンや、抱っこちゃん人形などもその一つでした。
話しが外れてしまいましたが、伊部さんは追い詰められて、ついには辞表を書こうかと思ったそうです。
休みの日もじっとしていられずに、会社に出勤し、やはり良いアイデアが浮かばないまま、公園へ行ったそうです。
ベンチに腰をかけて、まり付きをしている女の子を暫く眺めていました。
「子どもは、悩みがなくていいなぁ~」と、じーっと見つめていた時に、何かが頭に浮かびました。
ボールの中に時計が浮いている絵が浮かび上がり、浮いている状態を作りだせばいいんだぁ~と、そのひらめきから、腕時計G-SHOCKが誕生しました。
引用:ITmedia ビジネスオンライン
詳しい内容につきましては、2012年のインタビューをご覧ください。
当時の研究の大変さや、重く圧し掛かってきている責任や日々の葛藤など、諦めずに乗り越えて頑張ってきたから、成功へと繋がったのだと思います。
途中で投げ出してしまえば、それまでの事になってしまうけれど、海外でも脚光を浴びている伊部さんの努力は、やっぱり素晴らしく輝かしいものだったのです。
日々の努力と、公園でまり付きしていた女の子からヒントを得て、暗く長いトンネルから抜け出すことができて本当に良かったと思います。
今日も最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
このお話しは、私はテレビ放送で知ったのですが、インタビュー内容と少し違った捉え方をしているかもしれません。
インタビューの方も是非ご覧になってみてくださいね?
文章を書いていてとても懐かしい気持ちになり、良き時代を過ごしてきたんだなぁ~と実感しました。
もしご感想などありましたら、お気軽にコメントしてみてくださいね?(´▽`*)
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